コラム

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友との誓い

26.1.18

時代は疾風の如く

車で運転をしていた時に、ふと昔の友のことを思い出した。自分には大切な友がいたが不慮の事故で友を失った。それから月日は流れ、家族を持ちあの時から確実に時間が経ったと思った。自分は何故生かされているのか。自分は存在する意義があったのか。なぜかその時の感覚や臭いなどがリアルに思い出された。こげたカストロールの臭い、血と消毒液の混じった臭い。そして刹那の出来事。あの時流行っていた歌。振り向いた時の白目の白さ加減まで何故か克明に思い出せる。憧れだったのか?嫉妬だったのか?今でも分からない。少なくとも記憶の中では今も光り輝いている。

最近の世の中の風潮

25.12.17

消費者は置き去りに?

今年もあとわずかとなった。少し前の食品偽装問題は最近の世の中を如実に反映している気がする。国民が怒り狂っている訳でもないのに、マスコミが火をつけ煽りたて、それに国民が追随する。勿論食の安全が叫ばれている中で得体の知れないものを食べさせられた人はたまったものではないが、別にいいじゃないかということも、ケチョンケチョンにされる世の中をみると暗澹たる気持ちになる。
最後は特定秘密保護法案の強引な可決により、なんとも後味の悪い締めくくりとなった。
来年は消費税の増税もあり、日本経済にとっても正念場と言える。安直な金融政策、財政政策だけではなく、真の成長を遂げることができるか、大人の責任である。

タケちゃんマン精神

25.10.22

強きを助け弱きを憎む

最近の政府の対応や世の中の流れを見ていると、昔の人気番組「オレたちひょうきん族」のコーナー「タケちゃんマン」の主題歌のフレーズを思い出す。
「弱きを助け、強きを憎む」をもじった「強きを助け、弱きを憎む」というフレーズに、子供の頃はビートたけしの”毒”をそのまま飲み込んでいたような気がする。
このフレーズは世の中を風刺したシャレなのかと今では思うが「シャレにならない」とうい言葉があるように、今はシャレではなく、大真面目にこのフレーズを謳っている社会になりつつある。
この流れは一見社会保障の充実などで、かすんでいるが、現実には誰かのために誰かが犠牲になる。その犠牲は弱き弱者である。
弱き弱者を救うにはどれだけの犠牲が必要なのか。

消費税増税

25.10.6

消費者の負担はどこまで

平成26年4月より消費税が8%へ増税されることが閣議決定されました。消費税というのは消費する際に掛かる租税のことですが、課税に課税を重ねた結果、消費税は膨らみ続けます。
確かに事業者の会計上は支払消費税と受取消費税を相殺することはできますが、一般消費者は消費税に消費税が上乗せさらた価格を支払うしかありません。
酒やガソリンにしても税金が何重にも課されることになります。
それに加えてTPPにより日本企業や日本人の食が侵されようとしています。
消費税増税はある意味自国の財政の為にはやむを得ませんが、TPPは日本人の心まで奪ってしまう切れ味抜群の妖刀ということを分かっておかなければいけません。

資本主義企業の生存競争

25.10.3

企業は生き残れるのか?

ゴーイングコンサーン(継続企業)という言葉は最近では普通に使うようになりましたが、企業が継続し続ける為には何が必要でしょうか。
あらゆる企業が栄枯盛衰の流れの中で、価値を生み続け、与え続けることができるか、ということに尽きるのでしょう。
ピーター・F・ドラッカーはマーケティングとイノベーションの2つのみが企業に成果をもたらすと言い切っています。
つまり、ゴーイングコンサーンとはマーケティングとイノベーションを継続することといえます。
現在の地位にあぐらを掻いて、この2つを忘れた途端企業は衰退の一途を辿るのでしょう。
ゴーイングコンサーンとは実は地味でしんどい作業の連続なのです。


世の中の仕組み

25.9.16

搾取する者とされる者

資本主義社会では搾取する者と、される者が存在します。単純にどちらに属するかということは仕切ることはできませんが、一ついえることは、立場によって全く視界が違うということです。当然お互いは利害が対立する立場にあり、それが一方の主張が強くなれば、相手方の権利が脅かされることとなります。
一方の理論は一見正しく見えても相手方にしてみれば全くナンセンスな話であったりします。私達がこれから向かおうとしている社会は搾取する者も淘汰され、ほんのごく一部の人間がその頂点に立つことができる世界です。
悲しい現実は誰かが正義を振りかざしても、世の中の大きな流れには逆らえないのです。しかし、心の中は自由です。これからの時代はこころの時代とも言われています。
これだけ世の中が殺伐としている今、本当に大切なのは目の前の現実をどのように受け止めることができるかという受け止め方が幸せを左右します。

非嫡出子の相続分

25.9.5

違憲判決が映す社会情勢

平成25年9月4日に非嫡出子の相続分が嫡出子より少なく規定されている民法第900条4号但書の規定が違憲であるとの最高裁判決がでました。
又、判決では確定した遺産分割に影響を与えないとの異例のコメントを残しました。
最高裁判決は法律と同等の重みがあることから、今回の違憲判決により、民法を国会で改正する必要性が生じてきます。
今まで判例では争いはあったものの一応合憲という立場をとってきました。
社会情勢の変革により、法律も時代に合わなくなってきたということなのでしょうか。
いずれにしても、社会が激変するなかで、自国や自分の身の回りの立ち位置を考える必要が一人一人に求められていると思います。
グローバル化が進み各国のナショナリズムを叫ぶ人が増えていく中で、蛸の足の食い合いにならないよう、十分な思考が必要です。

食料問題

25.7.16

私達の口にするもの

世界は人口が爆発的に増加し、その勢いは止まりません。医療の発達等により人口の減少は先進国の一部のみとなり、人口増加による食料不足は世界の悩みとなっています。
私達の食べ物を支えるものは農業、畜産、漁業などですが、経済の発達により地産地消という概念がなくなり、その口に入るものは何処からやってきたものなのか分からない得体の知れないものとなっています。
安全と思って食べている毎日の食事がそうでなければどうなるでしょうか。放射能の問題や遺伝子組み換え食品の問題は誰かの利益の為に真実が開示されない状況にあると言っても過言ではないでしょう。しかし、私達にはそれを知る術はありません。
信じてきたものが、実はそうでなかった時、果たして私達はどのような決断を下すのでしょうか。

モノの価値

25.6.26

値段の成り立ち

世の中の値段はどのように決まっているのでしょうか?貨幣というものが開発され、現世はその恩恵を受けて、様々な経済的活動を行うことが出来ます。その為、生活が安定し、明日の食べ物に困らない社会ができてきたのです。しかし、そもそもお金の成り立ちを考えずに今を生きる生活だけに偏ると将来の経済価値を前払いでもらい、結果食べ物がないどころかマイナスの生活をおくる悲惨な状態になることもあるということです。お金というものがなければ、35年の住宅ローンで家を買うことなど不可能でした。しかし、今私達は普通にそのような行為を何の疑いもなく行っています。そして、その価値は果たして正しいのか?そんなことを考えることもありません。日本人が金融や投資の資質がないといわれるのは、外国からの侵略が度々起きると言うこともない治安の安定した島国であるからだと言われています。即座に自分の資産を換金しなければならないような状況になることはまず起こりえません。そして、実際にものを作った価値とその人にとって必要性のある価値の乖離が許し難いほどに進んでいくのです。

世界の情勢

25.6.13

この先どうなる?

世界の情勢は混沌とし、遠くの国があたかも近隣諸国にあるような報道の速さに他国のトラブルが対岸の火事ではなくなる恐ろしさを覚えるのは私だけでしょうか。トルコで暴動に近いデモが起き、革命に近い出来事が世界各国で起こっています。これは、人々に真実を知る方法が授けられたことが最も大きいと思います。この日本でさえ真実を知る術は限られています。その為、真実と思える情報は巷に氾濫しどれが真実なのかさえ分からず世界の人々は虚像を追いかけ、そして人生を終えていくような悲しい人生だけがまっているような気がしてなりません。私達は何を学びそして活かさなければならないのでしょうか?少なくとも今までの過ちを一人一人が認める勇気を持たなければ新たな一歩は踏み出せません。正義とは実は地味なものです。正義を貫き通すことはとても退屈なことです。退屈で地味なことを耐え抜く勇気があるか。それが問題です。

景気は良くなるのか?

25.5.21

アベノミクスの功罪

安倍政権になってから日銀も異次元の金融政策で景気の底上げに一定の効果を発揮しており、ようやく暗く長いトンネルを抜けたかに思われます。しかし、日本の人口構造・産業構造を考えるとこれ以上の発展を続けること自体には無理があり、失われた20年間を忘れる為の宴であるようにも思えます。
特に最近は世界中を投資家が熱いところに投資を行い、ぬるくなったら直ぐに引き上げるという昔の銀行が行っていた「貸しはがし」のようなことが行われています。
このようなマネーゲームに世界は翻弄され続け、本質が見えない社会になり、信用や思い込みや幻想が世界を作っていると言っても過言ではないと思えます。
貨幣自体に価値がないことを私達は思い込みによってそのもの自体に価値があるような幻想に囚われています。金利が上がったり、インフレになった場合は貨幣の価値は下がることを、「支払が多くなる」と勘違いしてしまっています。
本当に地に足をつけて物事を考えるときに、本質的な価値と交換できる貨幣というものは果たして今目の前にあるそのものなのか問いただす必要があるでしょう。

謹賀新年

25.1.6

平成25年

皆様あけましておめでとうございます。今年は経済的にも前向きにいきたいものですが一体どうなるのでしょうか。今年の後半には思ったより景気が良くならないことに対する国民の不満が政府与党に向けられるような気がしてなりません。かつての高度成長期のように爆発的な購買行動に出る人は今後出てこないでしょう。それは年金や将来に対する不安があるからです。それを解消しなければ幾ら景気対策をやっても焼け石に水です。国民が求めているのは、「将来の不安を解消するという現在の豊かさ」です。それを知ってか知らずか政府は目先の財政政策、金融政策ばかりに走っています。いま政府がやろうとしていることは、低所得者層への雇用改善や少子化対策を十分に手当てしていません。
私達が日本国民であることは中国や韓国への対応としてのナショナリズムではなく、豊かで安心して住める国であることを一番求めているのではないでしょうか。
資源争奪と言う意味では近隣国との争いは避けられないのかもしれませんが、本当の豊かさを人々は失いかけているような気がしてなりません。
今国民一人一人が平成25年を全うする為に、怠惰に過ごすことなく、自分から行動を起こす必要があるのではないでしょうか。

諸刃の剣

24.12.18

インフレターゲットの危険性

衆議院選挙が終わり、結果としては自民党の圧勝となりました。第三極と言われた政党も伸び悩み肩透かしを食らったような選挙だったのではないでしょうか。
自民党が与党となり、早速安倍総裁が消費者物価指数2%上昇を目指すインフレターゲット実施に向けて日銀と協議に入るようです。物価上昇はある種景気を向上させることができますが、単にインフレになったら逆に買い控えによる、不況をもたらし所謂スタグフレーションをもたらします。法の整備が整わないまま物価のみが上がると所得の上昇の追従に時間が掛かる為、その間にどんどん現金資産が食われていきます。不動産などの資産を持っている人にはインフレは有利と言われていますが、所得が上がらないと単に変動金利の場合は負担のみが増えて、サブプライム破綻の二の舞になりかねません。何よりも政府はインフレによる相対的な年金給付額を減らそうとしています。若い世代にすれば年金という借金を抱えるよりはむしろインフレになってでもその方が将来的にはいいのかもしれません。ただし、日銀が十分な監視を行った上でインフレターゲットを行わなければ、日本国民の殆どが破滅への道を歩むことになります。
安倍総裁は併せて、公共事業を積極的に行うと公言していますが、資金が十分に回って末端まで浸透しなければ、財政政策及び金融政策の効果は発揮されません。
いろんなことを同時平行で進めていくバランス感覚と世界の先を読む先見の明が日本のリーダーには求められています。

法律が経済に与える影響

24.10.11

法律改正で生まれるものと失われるもの

法律が改正されることによって新たなマーケットが創出されます。以前に会社法が改正され、それまで株式会社設立に必要であった最低資本金が撤廃されたことにより、個人から法人成する事業主が増えました。資本主義で儲ける為には抜け駆けできなければなりません。株式会社がごろごろある時代に突入すると株式会社であることのステータスはなくなってきます。
数年前からリストラによる経費削減を推し進めていることが当然となりました。バブル崩壊直後はリストラすることが即利益の増加に繋がりました。それは経費の増大により競争力が無くなった商品を排除し、利益の高く、しかも安い商品を販売することができるようになった結果です。そしてそれは他より利益が高くそして安いということであり、絶対的なものではありません。皆が足並みそろえると結局はそれが基準になります。飲料メーカーが発泡酒を開発し、第三のビールを開発してもそれが全体に浸透すると同じように課税され、そして更なる抜け駆けをする必要に迫られます。
しかも法律は国内法だけを考える時代は終わりました。入管法が改正されたり、労働関係法が改正されたりと日本人にとどまらず外国人を取り巻く環境も劇的に変化しつつあります。
現実社会からの要請により法律が改正されることと、法律改正により現実社会に影響を与えるものと、それぞれ妙な関係で法治国家は成り立っています。

これからは知的財産の時代

24.10.4

日本は知的財産分野で遅れをとっている

9月に日本でもiphone5が発売され、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで売れているようですが、そんな中、韓国のサムスンが特許侵害でアメリカの裁判所に提訴したと報道がされています。今やものの販売は一つの国にとどまらず、世界各国で販売されることを念頭に置かなければ、思わぬところで足をすくわれます。大企業であっても知らないところで法に触れたり、他人の権利を侵害したりすることが無いとも限りません。
10月1日から改正著作権法が施行されます。今まで違法にアップされていたサイトのデータをダウンロードすることも刑罰の対象となりました。この運用方法をどのようにするか非常に関心がありますが、少なくとも今までのように公けに違法なダウンロードをすることや、それを助長することはできなくなると思われます。特にスマートフォンの普及によりインターネットのポータブル化が進み普通の人も知らない間に法を犯しているということも起こりえます。この法律により、何がいけなくて何がいいのか国民一人一人が認識する必要があるでしょう。知的財産立国となるためには、高度な倫理観が同時に必要になります。私達にはその我慢ができるのでしょうか。

諸外国との領土問題

24.9.21

真実はどこに?

最近は尖閣や竹島の問題が連日報道されていますが、一連のメディアを取り巻く動きは何を意味するのでしょうか?
最近は戦争でも情報力を制した方が勝つといわれ、その情報力は非常に重要になっています。そして本当の情報が国民に知らされていないということが日本を見ても中国を見ても感じ取れます。
昨年の福島の原発事故により、様々な情報操作があることを国民は知ったと思いますが、それでも多くの国民の情報源はテレビのニュースです。ただし、テレビのニュースは真実の断片であり、一つの見解に過ぎません。
尖閣や竹島の問題はそれぞれのお国の事情が複雑に絡んでいます。ただ単に自国固有の領土であると主張することの裏側にあるそれぞれの思惑はなんでしょうか。

コピーライティング

24.9.3

資本主義で失われる「いいもの」

広告には強烈に訴えかけるものがありますが、その効果は意外と目に見えることはありません。それは人々が無意識の内にそれを認識しているからです。結果的に印象に残ったものを選択していますが、あなた自身もその理由を聞くと意外と答えられないのではないでしょうか。その為、無意識の領域を「いいもの」とジャッジできる人も限られています。
豊中市の広報誌で一昔前に一般の「おばちゃん」がでかでかと表紙を飾ったことがあり、大変な反響を呼んだそうです。チャレンジや遊び心を試した結果思わぬ副産物を生むことはよくあることです。しかし、その後、広告代理店がコンペで競争入札となり、参入した業者は小奇麗で無難なものしか作らなくなりました。挑戦はしたいけど失敗した場合の責任がとれないことや、外部からの圧力により、そのようになっているのではないかと推察しますが、そのような現場を知らない人によって、多くのことが決定され、どんどん「いいもの」が失われているような気がします。
特に資本が肥大化し、大きなチカラに社会が萎縮しているようになると、ブロイラー式に自分の与えたいものを与えたい量だけ投与することになります。そんなことが当然であっていいのでしょうか。

お金の流れる方向

24.8.20

新自由主義の代償

世の中のあらゆる規制を撤廃する考えは競争と破滅を招きます。新自由主義といわれる経済活動を自由に近い形で行うことが出来るようにする動きが平成に入ってから加速しました。それによってよくなった部分もありますが、日本国内のみを考えると決してよくなったとはいえないでしょう。
何もかもが自由競争にさらされた結果、ダンピングの応報を招き、結果として多くの雇用が海外に流れていきました。それに加え法人税の高止まりや円高による輸出産業の収益源により、日本人の所得が頭打ちとなり、日本のリーディングカンパニーであったトヨタ自動車の収益低下による余波が日本全体を覆いこれからもその影響は続くものと考えられます。その中で社会主義的な制度として公務員の保護制度や生活保護者への手厚い待遇などが社会の歪みとして巨大クレバスを生んでいます。
世界と競争するには国内の凌ぎ合いが必要ですが、時には協力し合って日本が一団となって物事に取り組むことが経済という魔物に対抗するリーサルウェポンではないでしょうか。

申請と景気

24.8.16

社会の仕組みを読み解く

行政書士は書類を作成することが主な仕事ですが、その書類を作成するには難易度というものがあります。難易度の高いものは報酬も比例して高くなり、簡単なものの報酬は低くなります。一つの事象を考えても、様々な知識や経験を総動員しなければ導き出せないものは、仮にそれが1時間の作業でできたとしても価値の高いものとなります。その人がどれだけの時間でその仕事を達成したかではなく、普通の人間であれば、どれだけ労力を掛けなければ、導き出せないかということが価値となって報酬に反映されます。
行政書士などの士業といわれる業種は多くの場合「仕入れ」が無いか、少ない業態といえます。その為、値段を決める場合もピンキリですので、不当廉売に近い価格により、相場が著しく変動することがあります。それが不当廉売と言えるか難しい問題がありますが、キチンとした原価計算をすれば、損益分岐点が導き出せます。少なくとも、ネット価格?では損益分岐点を上回っている金額とは言えないものが散見されます。
個人事務所の場合は価格設定の際に自分の取り分をあまり考えずに、設定することがあります。しかし、それを続けていると結果として顧客へのサービス低下に繋がり信用を無くすことになります。安易な報酬のダンピングは自分の首を絞めることになることはいよいよ息が出来なくなるときまで分からないものなのでしょうか。

貧富の差

24.8.5

相次ぐリストラから分かること

あらゆる企業が減収となり、リストラによる経費削減・人員削減をおこなうことにより、エンジンの片側が壊れた飛行機から大切な荷物を捨てるようなことが日常に行われつつあります。
長引く不況といいますが、これは一時的なものではなく、長い目で見たときに将来的にも景気がどんどん低減していく現象の過程といえるのではないでしょうか。
経済の歪みにより本来もらえる以上の所得を貰っている人がいますが、時価で所得を受けている人は、絶対的に所得が少なくなります。その歪みによって貧富の差が起きています。しかし、それは今に始まったことではなく、人類の永遠のテーマです。
「貧乏人は麦を食え」という趣旨の発言をしたとされる当時大蔵大臣だった池田元総理大臣ですが、一見合理的とも言える考えでも、発言する人の属性やそれを受ける人の感情によって、言葉は違う意味を持ち始め、当時は厳しい世論の批判を浴びることになったといいます。勿論言葉の裏側に貧富の差を助長する気持ちが、元々あったのかもしれません。今は日本人が今の賃金のままで24時間寝ずに働いても中国の安い労働力には勝てません。日本の将来はオートメーション化しにくいサービスや現地調達するしかない技術労働力で勝負するしかありません。しかし、そのような技術がある日本人が果たして何人存在するのでしょうか。

信じる力

24.8.3

4年間自分を信じきれるか?

オリンピックを見ていて、4年間かけてオリンピックに臨んだ人たちの途方も無い努力がひしひしと伝わってきて、結果を残せなかった選手を見ると胸が締め付けられる思いがします。太宰治の著書「走れメロス」では自分の身代わりになった親友セリヌンティウスを救う為、走り続ける際に様々な葛藤が描かれています。そこには人を信じることと信じきることができない人間の弱さが見え隠れしています。そして、自分の気持ちを強く持ち続けることが困難であることも示されています。
オリンピック選手は4年間自分を信じ続けて、それぞれどんな気持ちで試合に臨み、そして試合を終えるのでしょうか?オリンピックというものは、それを目指す人にとっては一般の人の想像を超える想いがあるのでしょう。

ロンドンオリンピック開幕

24.7.28

オリンピックの利権

ロンドンオリンピックがついに開幕しました。年々オリンピックは参加国が増えて、オリンピック利権は膨れ上がっています。特にヨーロッパでは不況の為、特需としてオリンピックに期待する声が多いようです。
WBC(ワールドベースボールクラシック)も然りですが、開催規模が大きくなると組織も大きくなり、そこに利権が発生します。そうなると、お金をどのように分配采配するかを決定する権限を持つことになります。資本が局地的に集中する傾向にある最近の世界情勢ですが、本当に「参加することに意義がある」のオリンピック精神を単なる精神論に終わらせて欲しくはないですね。

消費税と国民生活

24.7.12

危うい国民生活

消費税の増税が衆議院で可決されました。消費税が上がると言うことはモノを買う時に出費が増えるということです。消費税の厄介なところは、2重に課税されているというところです。日本のサラリーマンは所得税という税金を納めた後に、天引きされた手取り給料からモノを買います。
一度所得税で税金を差し引かれその後にモノを買う時に再度、消費税を取られるのです。アルコールやガソリン等はその商品原価に酒税代や揮発油税が入っているがその商品に再度消費税が課される為、3重に課税されてるのではないでしょうか。終局的な税金として存在する消費税ですが、その扱いには慎重さが必要ではないでしょうか。

複雑な貿易摩擦

経済大国の矛盾

私が小学生のころは貿易摩擦という言葉がしきりに使われていました。そのときは何のことやら全く分かりませんでしたが、現在日本はその貿易摩擦に苦しめられていると言えます。日本は海外にモノを売って経済大国になった国です。景気のいい時は海外から財物の移転が入るベクトルに向き、景気が悪い時は財物が出て行くベクトルが働きます。
お金は誰かが所有するのではなく、水のように流れ安いところに向かって流れていくものです。あの時日本が経済大国であったのはその順番が回ってきただけではないでしょうか。金持ちというのはそのときの状態を表しているだけであり、その人そのものではないのですから。

日本と言う狭い枠

緊縮財政はもつのか

世界に誇る経済大国と浮かれているうちに、バブルが崩壊し、GDPが中国に抜かれました。中国がGDP世界一になるのも時間の問題です。日本だけにとどまらず、ヨーロッパ各国も景気の悪いニュースに頭を痛めているようです。ユーロが世界を制すると一時言われていましたが、ギリシャ不安から異文化同士のルールを決めるのが難しいことを知らされました。ギリシャが今までヨーロッパでいいように使われてきたとしても、ここでユーロ離脱するということは国際社会からの非難は免れません。しかし、緊縮財政反対派が多いということは、どっちみち破綻するのであれば自由をとりたいということでしょうか?多くの人が緊縮財政に反対している理由は国家に希望が持てなくなったからです。過度な期待は破滅を招きます。では緊縮財政を止めたからと言って希望が描けるのでしょうか?

最近の風潮

わがままな人々

最近は、権利を主張するけど、義務を履行しない「わがままな」人間が増え続けているように感じます。世の中が混沌として、財の奪い合いをしている間はそのような醜い争いが続くのでしょうか。人々が幸せになる為には自分の心を見直す必要があるが、そのような余裕のある環境を持った人が少なくなってきていることは間違いないでしょう。少しでも自分から奪われないようにする為に、権利は主張し、本来与えなければならない義務を履行しない。このような人々が増え続けることにより、国家は衰退することは明らかだが、それを止める手段は、今のところ景気、政治、文化からは見当たりません。もう一度この国を希望に満ちたものにするには、民主主義の好き勝手な思い込みとはとても考えられません。

世の中の景気

先ず隗より始めよ

世の中では景気がよくなったとか悪くなったとかいっているが、それは一時的な感覚ではないでしょうか?景気は常に相対性や融通性があり、他と比較してどうであるとか、将来のものを取り崩している(ことに気付いていない)ことが景気を短絡的に良い悪いと言っている人が殆どのような気がします。
本当に景気がよくなることを望むのであれば、あえて高価なものを自ら購入する勇気が必要ではないでしょうか?「先ず隗より始めよ」という諺があるように口だけの人が増えたような気がするのは私だけでしょうか。

日本は変わるのか?

ジレンマ感じるこのごろ

地球温暖化、食糧危機、世界経済危機、人口増加、世界的高齢化等、今世界を取り巻く環境は大きく変わりつつあります。
私が小さなころは考えもしなかったような時代になった。自分の小さい頃描いていた21世紀はもっと明るい未来でした。文明が発達して人間が働かなくても生活できる・・・そう思ってました。これは決して私が戯けな訳でなく、そのような未来を描いた映画等が多く存在していたことからそのように刷り込まれていたのではないでしょうか。
昔から日本は資源が無いから海外に頼らざるを得ないといわれていました。最近のドバイなどの高層ビルラッシュを見ると資源のある国の経済発展はたまたまその国から資源が取れるということで大きな財に恵まれています。
逆に日本は資源がないからこそこれだけの経済大国になりました。
人間は無い物ねだりであり、満たされたらそれなりに悩みが生じます。
どうせ満たされることの無い欲望であるならば、少しだけでも上を目指すべきではないでしょうか。